本校卒業生の嵯峨根さんが、パラリンピックの男子シッティングバレーボールに出場します。20年余り前の私の学年の生徒で、当時は義足ながらバスケットボール部で走り回っていたことを思い出します。今は和泉市役所の和泉市のPRを担当するいずみアピール課で働いています。講演活動もしていて、障がいのことや仲間の大切さなどを熱心に話してくれます。シッティングバレーボールは、体格の大きな外国のチームが多いので、勝つことはかなり難しいようですが、信太中学校の卒業生の頑張りをぜひみんなで応援しましょう。
以下、産経新聞より
「違い理解し合える機会に」 シッティングバレー、嵯峨根選手
大阪府和泉市職員の嵯峨根(さがね)望さん(33)がシッティングバレーボール男子日本代表として東京パラリンピックに出場する。先天性の障害があり、幼いころに両足を切断している嵯峨根さん。東京パラリンピックの開催を、障害など人との違いを個性ととらえて理解しあえる機会にしてもらいたいと願う。
右足は太もも、左足は膝から下を持たない。生まれつきの障害で、将来歩行困難になることから1歳のころに切断し、物心つくころから義足で暮らしてきた。
小学生のころに臀部(でんぶ)の一部を床につけてプレーするパラスポーツ、シッティングバレーボールと出合った。大学3年生だった平成21年に本格的に競技を始め、翌22年には日本代表に選ばれるセンスの持ち主だ。ポジションはセッター。パラリンピックでプレー姿を見てもらうことで「足がなくても前向き。そんな人がいると知ってほしい」という思いを込める。
とはいえ思春期のころは、義足を他人に見せることが嫌だった。水泳の授業で、水中に入るまでタオルで隠したほどだった。
だが、中学2年生の夏休みに転機が訪れた。泊まりに行った友人宅で、暑さに耐えかね「義足外してええかな」と聞くと、友人は「やっと見してくれるんやな」と返してくれた。
義足を隠す必要はないと思えるようになった。小中学生を前に講演するさいも「コンプレックスを隠してもいい。でも、いつか受け入れる日が来る」と訴えかける。
競技人生の中で「めっちゃうれしかった」と振り返る試合は、2016(平成28)年3月、リオデジャネイロパラリンピック最終予選でのポーランド戦だ。
「日本側はブロックしようにも1歩、2歩と動かないとできないが、相手は少し体をずらすだけでブロックできる」。体格が大きく、腕のリーチも長い欧米、中東勢に苦戦し続けていた。そこでポーランド戦では、セッターの嵯峨根さんも積極的にアタックに参加し、レシーブをつなげる粘り強いプレーで勝利を引き寄せた。「苦手だった海外勢とも戦えた」という大きな自信になったという。
昨年からは新型コロナウイルス感染拡大の影響で、海外での試合はほとんどなくなり、練習機会も減った。関西在住の日本代表候補数人で練習したが、緊急事態宣言などで施設を使用できる時間も限られた。それでも東京パラ開幕に向け、トスさばきを磨いてきた。「障害を持っていたから出会えた人も多い。人と違うことがプラスと思えるような世の中になりつつある。楽しくプレーするところを見せたい」と意気込む。
シッティングバレーボールは8月27日から千葉市美浜区の幕張メッセを会場に行われる。「自分の持っている力を大会で出したい」と決意を語った。